家族、ころころ。

〜転がって、丸まって、そうしてゆっくり生きていく〜

もう一人の父親と再会したら、キュートな異母姉妹(双子)がいた話。

こんにちは、きーです。
私は今年で21歳になるのですが、最近大人っぽくなる研究をしています。
例えば、服装、メイク、ヘアースタイル。
笑い方もこの20年間「ガハハ笑い」をしていたのですが、なんてナンセンスなんだと気付きました。これからは「うふふ笑い」を、時として「えへへ笑い」を心がけます。そんな決意表明でしたー。パチパチ。

 

今回は、「私が初めてお父さんの新しい家族に会った時の話」を書いていきます。私がもう一人のお父さんに出会った時、お父さんは、母と同様に再婚し、新たな家庭を築いていました。

  

それではお話させていただきます。

 

「きーちゃん、今度はお父さんのお家においでよ。旬お兄ちゃんもいるよ。」

 

もちろん来てくれるよね、と言わんばかりのスマイルくんな表情を浮かべるお父さんを見て、嬉しいとも、不快だとも思わなかった。

別にいいけど、行ったところで何をするの?ってか、旬お兄ちゃんなんて一度も読んだことないなぁ、呼ぶつもりもないしなぁ...なんて頭の中で喋りながら、お父さんに対してはただ頷くことだけで返事をした。

 

そして、当日。

母はただ、「楽しんでねー!」と、明るく送り出してくれた。どうやら母は私がお父さんとその家族に会うことに何も思わないらしかった。

お父さんの家族に会うのかぁ、緊張。この緊張は、向こう側の家族に会うんだ、という状況把握をした上での緊張というよりかは、ただ単に人見知りからくる緊張だったように思う。

 

「きーちゃんね!こんにちは〜!」

明るく出迎えてくれたお父さんの新しい奥さん(以下、奥さん)は、背が高くてきっちりした女性だった。

普通に優しそうだし、いい人そう。でも、多分気は強いだろうな。あと、私のママの方がキレイ。

私の周りの人たちだけかもしれないが、親と同世代に見える大人に出会った時、自分のママの方がキレイ、自分のパパの方がスラッとしてる、と比較して親を誇りに思う子どもは女の子によく見る傾向のような気がする。もしくは、私が嫌味なませガキだっただけだろうか。

 

そんなことを思いながらぎこちない愛想で挨拶をする私を、奥さんは快く迎えてくれた。 二階に案内され、階段を上り終えた時。

 

私は3度目の衝撃を受けた。

 

「「ちっさい女の子がいるーーーーーーー!!!!!!」」

 

もはや驚きすぎて、叫びたい言葉は喉に突っかかって、 w(゚ロ゚;w(゚ロ゚)w;゚ロ゚)w という表情のみでしか驚きを表現できなかった。色違いの服を着て、ソファにちょこんと座る女の子×2は、当時4歳くらい、弟のマルよりも小さかった。

 

もう一人の父親がいると思ったら、

恋しかけた親戚のお兄ちゃんは私と血が繋がっていて

おまけに双子の妹もいるんかいなーーーー!!

 

「きーちゃんの妹みたいなものだよ。ほら、きーねえちゃんだよ^^」

 

お父さんはわいわい上がったテンションで言っていたが、生憎、私はその頃小さい子が苦手で、大喜びはしなかった。ただ、小さい双子が目の前にいるのは、なんだか愛らしかった。仮に、双子をキキララ(ララは男の子だけど)とする。とっとこハム太郎で例えるなら、トラハムくんとトラハムちゃん。らき☆すたで例えるなら、かがみとつかさだ。

 

この双子、まず顔がぜんっぜん似てない。びっくりするくらい似てない。二卵性双生児は似ないと知り、「えー、じゃあ入れ替わりとかできないんだね。」と言って、奥さんに笑われたことがある。私の無邪気な発想、プライスレス。

 

 こうして私は、キキララのお姉ちゃん的存在として降臨したわけだが、「あぁ、私たち、別々の家族なんだ」と気づき、距離を置くようになるまでそう遠くはなかった。

理由は大きく2つある。

 

まず1つ目に、めっっっちゃ気を遣う。

接待かよ、というレベルで気を遣う。私は幼少期から人見知りである上に、人の顔色をかなり伺う子どもだった。礼儀正しくするということだけに集中し、奥さんとの会話もそこそこ合わせつつ、双子と遊んでいたわけだが、これが非常に疲れる。誰の家に泊まるよりも疲れる。どないなってんねん。奥さんは私が気を遣っていることに気づいてくれていたため、やたらと話しかけることはなく、ただただ優しくしてくれてはいたが、一つだけ、苦手なところがあった。

 

奥さん、私にたっっっっっくさんの量のご飯を食べさせようとしてくる。

 

これはおそらく優しさだと思う(思いたい)のだが、当時、私はとても細く少食であるのに、夜ご飯になるとどうしても食べきれない量のご飯やらスープやらをいただいていた。残すのは失礼にあたるから、10歳の少女なりのプライドをかけて毎回完食していたのだが、それがものすごく辛かった。焼肉と鍋の日は今でも鮮明に覚えていて、もう大丈夫です、と言う私に構わず、「本当〜?たくさん食べなきゃダメよ?」とじゃんじゃんお皿に足されていくお肉やら野菜。えずきそう(というより多分えずいてた)な姿を隠し、涙目で必死に口に詰めていた記憶がある。

掃除の時間なのに、一人だけ机に向かう昭和の小学生の給食の時間かよ。揚げパンを牛乳で流し込む時かよ。辛くても残さず完食に向けて努力し続けるこの行為を「食いトレ(食べるトレーニング)」と呼ぶことを、高校でアメフト部のマネージャーになってから知った。

 

とはいっても、夜ご飯の時以外の奥さんは明るいし優しいし、お笑いが好きで話しも合うし、素敵な奥さんだった。何故か夜ご飯の時だけはオラついていた。永遠に答えの出ない問題である。

 

あーだこーだ言ってはいるが、きっとこの食いトレ事件がなくても、私は永遠に気を遣い、奥さんと距離が縮まることはなかったように思う。お父さんは、私と奥さんをどんな関係にしたかったのだろうか。親戚の奥さんという認識でよかったのだろうか。よくわからないが、きっと今なら、そんなこと気にせず他愛もなく話せるのにな、と思う。

 

あまりにも思いが強すぎて長くなってしまったため、続きは次回書こうと思います。奥さんも双子も優しくて可愛いけれど、相性というのは少なからず存在しますよね。

 

読んでいただき、ありがとうございました^^

 

後編はこちら!

 

keeyhtn.hatenablog.com