お父さんへ、「子どもとの約束」破っては、だめ。
こんにちは、きーです。
先日、初めて「おひとりさまレイトショー」をしました!
中学生の頃から、大人になったらやりたいことリストに入っていたものの、なかなかできず...
帰路の途中、ふと、今日行ったろ!と思い立ち、そのままの勢いで行ってきましたっ!わー!
『君の膵臓を食べたい』。心のデトックス、小栗旬さん、最高でした。
宜しければ私の膵臓もどうぞ食べてください、って感じでした。
前回は、お父さんの再婚家庭について書きました。楽しかった反面、少しずつ息苦しくなってしまった空間。それはきっと、「他人の家」だから。そんな時に、お父さんと喧嘩(?)をしてしまいます。今回は、「お父さんと会わなくなったきっかけ」について書いていきます。
それではお話させていただきます。
「久しぶりに、買い物をしよう。」
急にお出かけに誘われた、ある日曜日のお昼頃。
お父さんの家に行きづらいと思い始めていたため、家よりかはいいと思い、承諾。
母に伝えると、洋服を買ってくれるかもよ!と言われ、少しテンションが上がった。
返信は30分ほど遅れてしまったが、大丈夫だろうと思い、急いで身支度をしていた。
けれど、お父さんは私の想像以上に自分勝手だった。
「やっぱり時間がないからまた今度でいいかな。」
え...?
時間がないの...?
30分で時間が無くなったのかな。
母が「可愛い服買ってもらえるといいねー!」と言ってくれていた手前、「父親にドタキャンされた」現実をなかなか受け入れられない。
待って待って、このスピード感あるドタキャンはなんだろう。いきなり誘われて、いきなり断られたぞ?父親による、人生初のドタキャン(される側)。
普段なら、えー!残念ー!行きたかったー!!で済む話ではあるが、この時ばかりは子どもながらに、お父さんの態度が許せなかった。
「ママ...お父さんに断られちゃった...。」
え!?と驚いた表情から真顔へと変わり、何!?メールを見せて!!と駆け寄る母を見て、涙が溢れた。徐々に込み上げる、「期待した私がバカだった」感。
「あのさ!!メールの返信も遅くなかったよね!?自分のわがままで子どもを振り回すのは辞めてって何度も言ってたよね!?!期待させて悲しませるんだったら二度と誘わないで!!泣かせてるんだから!自己中心的な行動で子どもを傷つけるのは辞めて!!」
すぐさまお父さんに電話をかけた母は、お父さんが電話に出たであろう瞬間に大声で怒っていた。
母が人にあそこまで怒鳴る姿を見たのは初めてだった。それくらい、怒鳴っていた。
謝りたいってと渡されたケータイからは、「なに〜?きーちゃん泣いてるの?泣かないでよ〜?」と子供騙しな猫なで声が聞こえ、言葉を発する気力すら失せた。子どもだからってバカにしないでよ、と思いながらも、言えるほど強くはなく、無言で母に返した。適当にやり過ごされた気がして、悲しみはスーっと引いた。
これだから会わせたくなかったのよ、と怒る母の言葉を聞きながら、「あぁ、なんか分かったぞ。」と思った。
お父さんって、多分、昔からこういう人なんだ。
自分の気分で相手を振り回して、期待させて、傷つける人。
出来もしない約束を無責任に取り付ける人。
人の気持ちを考えずに、自分が満足だったらそれでいい人。
なんか、分かった気がする。
お母さんは、ずっとこの人に振り回されながら生きていたんだ。
そりゃあ、離婚するわ。良かった、離婚してくれて。パパと再婚してくれて良かった。
良かったと思う反面、旬くんは大丈夫かな、と思った。奥さんも、キキララも。
この人、結構やばい。
この電話以来、お父さんと会うことはなかった。
あれから、年齢が上がるにつれて、たくさんの成長をした。
小学校卒業、中学校入学・卒業、高校入学・卒業、大学入学、そして、成人式。
誕生日も10回迎えた。
だけど、一度として、お祝いの電話がくることもなかった。私もしなかった。
旬くんとは頻繁にあっているけれど、伝言一つすら聞かない。
私にも新しい家族がいるから、祝ってもらえなくてもどうでも良かった。
どうでも良かったけど、じゃああれはなんだったんだ、と思った。
何が目的の再会だったのか、会った意味、無かったんじゃない?
そういえば、中学生の時、一度だけ、メールが来た。
「久しぶり!今度、静岡か山梨に別荘を買おうと思っています。どこがいいと思う?」
...私は不動産屋さんかな、と思った。
中学生にもなると、私のピュアッピュアな部分は割と消えかけていたわけでして、
「こんにちは。そうですか。今宵は台風がすごいですね。」
といたって冷静な返しもできるようになっていた。
それ以降、返信はなかった。
そんなわけで、すごーく後味の悪い別れをしてしまいました。元気にしているのかなー。
もし、様々な理由で離れ離れになった子どもと再会しようと思っている方が、この記事を読んでくださっているのならば、考えてみてほしいことがあります。
「出来ない約束をしたら、子どもにどんな思いをさせるのか。」ということです。
感情をコントロールできるような大人ですら、何かに期待して、裏切られると傷つく。
子どもならより一層、人の言葉を信じると思うんです。
「一緒に住もう。」も、「また会おう。」も、全部。
勝手に期待して、勝手に傷つくこともある。
離れていた分の思いを共有したい、時間を埋めたいと思っているのなら、
まずは、「信じることができるんだ。」と思える対象になるべきではないかな、と私は思います。はじめの一歩は、信頼関係からではないでしょうか。
私は、一回傷つけられたことで、もういいや、と思ってしまいました。
でも、年齢が低くなればなるほど、察する・諦めることは難しいように思います。
一回裏切られて傷つく、でもまた約束をする、そして破られてまた傷つく。
傷つくと、それまでの楽しかった思い出すら澱んでしまうことだってあります。
理想論だけど、そんな辛い思いをする子どもは存在しないでほしい。
出来ない約束をするくらいなら、約束なんて要らないから、まずは、守れる言葉だけをかけてほしいな、と思います。
子どもの心に寄り添うことを目的とした活動をしている自分にも向けて、これらの文章を残します。
今回の話は以上です。
あの後、お父さんは奥さんと離婚をしたそうで、その話も後日書けたらな、と思います。今となっては台風のように来て、去っていった思い出です。
後日、母から「急にお父さんが娘に会わせてほしいと言ってきた経緯」について聞いたので、次回はそのことについて書こうと思います。
読んでいただき、ありがとうございました^^