家族、ころころ。

〜転がって、丸まって、そうしてゆっくり生きていく〜

絆が薄い人の家庭なんて、血が繋がっていても「他人の家」なわけでして。

こんにちは、きーです。
現在、小学3年生の女の子の家庭教師をしているのですが、その女の子がすっごく可愛いんです。
おてんばだけれど、一生懸命勉強もして、にこにこしながらお菓子を食べて。
ただ、仲良くなりすぎて勉強後の遊びの時間が本格的になっています。
この間は、20分間、一緒にスライム作りをしました。洗濯のりで。図画工作かて。
童心に戻る時間を大切にしようと、バイト後の時間はあえて多めに空けている私です。

 

前回は、私が「初めてお父さんの新しい家族に会った話」を書きました。まさか自分に異母姉妹(二卵性双生児)ができるなんてって感じです。

 

keeyhtn.hatenablog.com

 

あまりにも長くなりそうだったので、今回はこの記事の後編です。

 

それではお話させていただきます。

 

私が、お父さんの再婚家庭と距離を置いた方がいいのではないかと思った理由の一つは、優しく面白い奥さんが、夜になると壮絶な「食いトレ(食べるトレーニング)」を進めてくること(奥さん的には"親切"のはず)だった。しかし、それだけではない。

 

2つ目に、キキララが問題だった。単刀直入に失礼すぎることを書くが、私は4回目の対面あたりから、キキララが苦手になってしまったのだ。理由は、私がお姉さんになりきれなかったから。

キーワードは、「どうぶつの森」。

当時、寝る間も惜しんで時間とエネルギーをつぎ込み、どうぶつの森に没頭していたのだが、キキララと一緒にいるとなかなか思い通りには遊べない。それもそのはず、小さい子が家にはない遊具を見て興味を持つのは当然。私はお姉さんになって、自慢のDSをキキララに貸す義務がある。

ただ、貸して貸しての嵐は全然良いのだが、途中から喧嘩するは泣きわめくはの大嵐でその場は吹き荒れる。双子間の感情のぶつけ合い。私は罪悪感を抱きながら慰める。貸したら貸したで、大事に育てていた村は荒らされ、木は斧でぶった切られ、落ち込む。教えるから一緒にやろう、と言うとイヤイヤ期が出てくる。

DS以外に一人遊びができるものを持っていなかったため、途中からは、双子が起きている間は3人で遊び、お昼寝タイムのみ密かに遊ぶようにしていた。でも、見つかったらたちまちお守役だ。このお守役、10歳の私には荷が重かった。

当時の私は、「ごめんなさい、その日は用事があって...」と断る術を知らない上に、母に行きたくないと伝えるのはやりすぎではないかという遠慮から、お父さんに呼ばれたら行くしかない状況だった。

 

仲良く遊んでいる間は楽しい。でも、なんだか息苦しい時間が増えてきた。家では弟のマルと私はお互いに好きな遊びをしていたからぶつかることはなかったし、ゲームも一緒に楽しく遊べている。なんでこんなに違うんだろう。

 

その理由は簡単で、「他人の家」だからだった。

他人の家だから気も遣うし、他人の子どもだから遠慮もする。

双子のわがままの全てを受け入れられず、時としてイライラする自分を「大人気ない」と思い、早く家に帰ってマルと遊びたいと多々思った。

そんな中で、奥さんが私にどう思っていたのかは知らないが、お父さん は一人、能天気だった。

 

喧嘩して泣く双子と慰める私という女の三角関係を、「きい姉ちゃんと遊んでもらって嬉しいね〜!」と和んでいた時はさすがにイラっときた。

 

私は双子のお守役に呼ばれているの?そして夜はフードファイター

お父さんはこんな姉妹愛みたいなものを見て満足できているの?

あなたの遺伝子を受け継いだ子供をこの家に集合させたいってか??

 

10歳にしてとんでもない性悪だな、と自覚しながらも、薄々自分の父親の性格がわかって来たような気がした。この人、自己中かも。

 

出かけ先に「娘3人のお揃いの服を買いたいな〜」と言われた時、どこの茶番だよ、ペットじゃないんですけど、と心の中の鼻で笑い、「でも、なかなか年齢が離れているからね〜」と愛想笑いをした。

 

このように、私にとってお父さんの再婚家庭は「他人の家」以外の何物でもなくて、お邪魔しているという感覚だった。お父さんですら「親戚のおじさん」のような距離のある認識なのに、その奥さん、小さい子供×2とも同じ時間を過ごすのは、まるでアウェイな感覚だった。決して嫌いではないし、よくしていただいていたのだが、私は上手にその空気感を楽しむ余裕がなかったのだ。

 

ちなみに、高校生だった旬くんは大学受験でとても忙しそうで、話すことはなかった。

 

そんな時、お父さんとのある事件があって以来、現在までの10年間、一度もお父さんとは会っていない。

 

以上が、私がお父さん家族に抱いてしまった(という表現が正しい)気持ちです。当時の私は、自分がなんで家に呼ばれているのか、どんな立場で呼ばれているのかを考えて勝手に苦しくなっていたように思います。いっそのこと、親戚のおじさんと紹介されていた方が考えすぎることもなかったのかもな、と思うほどです。

 

次回は、私が「お父さんと会わなくなってしまった話」について書きたいと思います。少し、暗いお話かもしれません...。

 

読んでいただき、ありがとうございました^^