家族、ころころ。

〜転がって、丸まって、そうしてゆっくり生きていく〜

10歳の少女、もう一人の父親の存在を知る。

こんにちは、きーです。
今朝、祖母の家から桃が15個ほど送られて来てテンションMAXです。
私は昔からフルーツが大好きで、目の片隅にフルーツが映った時にはもう飛びついてばくばく食べていました。
幼少期のあだ名は「フルーツ座敷童」でした。なんか可愛いですよね()
 
今回のブログでは、「私が養子縁組をしていたことを初めて知った時の話」を書いていきます。「別の父親がいたのー!?!?!」って時ですね。登場人物がこんがらがってしまったら、紹介ページをさっと読んでいただけたら嬉しいです。

keeyhtn.hatenablog.com

 

それではお話させていただきます。
私の母は、私が2歳の時にお父さんと離婚し、3歳の時に再婚した。そのため、物心ついた時から幼い私は「母、パパ、私」が自分の家族構成だと思っていた(後々、昔の記憶を思い出したりもしますがその話は後日書きたいと思っています)。
再婚後は、しっかり者で明るい母と、優しすぎるほどに優しいパパと3人で暮らし、5歳の頃には、弟のマルも誕生し、4人家族で和気藹々とした生活。
しかし、小学4年生の冬、私は母から衝撃的な事実を告げられた。
 
 「あなたにはね、パパの他に、もう一人別のお父さんがいるの。」
それは、母と2人でお出かけをし、レストランで夜ご飯を食べていた時。
 
よく聞いてね、と少し真面目な顔をした母の口から告げられた真実に、私は何を言っているのかよく分からなかった。ただ、じわじわと言葉の意味が分かっていくうちに、気づいたら私は泣きじゃくるだけ。頭の中ではわかるけど、感情としては何を言っているのかが分からない。
もう一人のお父さんって誰?じゃあ一緒に住んでいるパパは何?
頭の中で必死に整理しようとしても、何が何だか分からないという混乱の感情が邪魔して頭がうまく回らないような、まさに「混乱の渦」といった状態。
辛いわけではないし、この先の生活が変わるわけではない、でも何故かモヤモヤする。きっと、「父親が2人いる」という状況に自分がなるとは...という現実味を帯びていない真実に、ただただ戸惑っていた。
とにかく何も言わず、ただただひたすら泣く。どのくらい泣いたのかは覚えていないが、泣いている間、母はただただ私を見守ってくれていたように思う。
 
泣きに泣いて、少し落ち着いた時。
母は優しく私に言った。
「パパも間違いなく、あなたのお父さんなんだよ。」
スッと胸に入ってくる言葉。お父さんが2人いるという状況はよく分からないけれど、パパはパパだ、と思った。
 
続けて、母は控えめに聞いてくる。
「もう一人のお父さんに、会ってみたい?」
「もう一人のお父さん」という言葉に慣れないながらも、別に会ってもいいかな、と思った。正直、気になるほどに会いたいとは思わなかったけど、会ってもいいかな、一応気になるし。と言った感じである。これから様々な話を書きたいと思っているが、私は良くも悪くも子どもの頃から「他人事」に思ってしまうような性格でもある。
 
こうして私は、10歳の時に「自分には父親が2人いる」という衝撃的な事実を知りました。この日から現在までの約10年間、私の中で「"家族"と向き合い続ける人生」が始まったのではないかなと思っています。
 
次回は、 私がついに「もう一人のお父さん」と再会した時の話を書きたいと思います。読んでいただき、ありがとうございました^^

私の家族をざっと紹介します。

こんにちは、きーです。
最近は時間があればここぞとばかりに小顔マッサージをしています。
そんな私の輪郭は10歳くらいからどんどん丸みを帯びてきて、こないだは「おじゃる丸」と呼ばれました。近う寄ってください。
 
前回のブログでは、私は両親の家庭内別居離婚・再婚・養子縁組・シングル家庭を経験したため、家族のかたちがコロコロ変わっていたことを書きました。ブログタイトルでもあります、家族、ころころ状態です。
そのことについて紹介する前に、このブログの主な登場人物であろう私の家族を紹介します。父⑴、父⑵、父⑶で書くと読んでいくうちにごちゃごちゃしてしまい読みづらいのではないかと思い、実際の呼び方で表記させていただきます。
【主な登場人物】
母...生みの親兼育ての親。ばつ2。
お父さん(1番目の父)...血縁関係のある父親。再婚していたが離婚し、ばつ2に。
パパ(2番目の父)...私が3歳の頃から小学校卒業まで一緒に住んでいた父親。全父親の中で、一緒に過ごした時間が1番長い。
トシ(3番目の父)…名前が俊彦だから(仮名)。去年入籍しました。パチパチ。ちなみにばつ2です。
旬くん…お父さんと母の間で生まれた、両親血が繋がっている兄。28歳サラリーマン。旬は仮名。私が小栗旬が好きなため。
マル…パパと母の間で生まれた異父姉弟。高校生。顔が丸々としているからマル(私も人のことを言えないレベルに丸い)。
 
主にこの6人が私の家族です!後は時折出てくるかもしれませんが、その都度紹介します。現在の生活スタイルは以下の通りです。
 
お父さんは再婚していたのですが、ばつ2になり一人で生活している。
パパは、マルと2人暮らし。
旬くんは都内で一人暮らし。なお、現在彼女はいない模様。
私は、母と3人目の父親であるトシと3人暮らしです。
 
できるだけ分かりやすく伝わるように頑張りますが、もしこんがらがってしまった時はこの記事を読んでいただけると幸いです。よろしくお願いします。
 
次回は、私が「別の父親がいるよ」という真実を初めて知った時の話を書きたいと思います。読んでいただき、ありがとうございました^^

家族を見つめるブログ、始めます。

初めまして、きーです。
外見も中身もどこにでもいる女子大生です。20歳です。
初めてあった人の8割は、「自分の友達に似ている」と言ってきます。
 
 
ブログを始めるにあたって、少々私のことについて書かせてください。
どこにでもいるような身長153cmの私ですが、両親の家庭内別居・離婚・再婚・養子縁組・シングル家庭を経験し、ころころ変わる家庭環境の中で生きてきました。
現在は、母親が1人、父親が3人、兄弟は、異母・異父兄弟を含めると4人います(曖昧なラインを含めるともっといるというミステリーツアー)。生活スタイルとしては、ばつ2の母親と、3人目の父親と私の3人暮らしです。
幼少期から、何もせずともころころ変わる家庭環境の中で育ってきた私は、必然的にも家族について様々なことを考えざるを得ませんでした。
 
「私にとっての家族とは何だろう。」
「何があれば家族になるんだろう。」
 
家族に関する様々なことを考えながらも、私は高校生の頃から、日本の社会的養護の下で生活している子どもたちについても関心を持つようになりました。
施設養護下で育った子ども達が思う「家族」って何だろう。
血縁関係のない里親・特別養子縁組家庭で育った子ども達が思う「家族」って何だろう。
私自身、2人目3人目の父親とは、普通養子縁組というかたちで親子になったので、「血縁関係の無い家族のかたち」である里親・養子縁組家庭に特に興味・関心を持ちました。日本の社会的養護下で育つ子ども達のために何かやりたい、もっと里親・養子縁組について知りたい、と。
大学生になってからは、NPO法人に所属し、不登校やいじめも含め、様々なことに生きづらさを抱える子ども達と一緒に楽しい時間を共有できるような活動をしています。 (とはいっても、大体は私が一緒に遊んでもらっているような時間になっています)。
様々な人と出会ってきて、「家族のかたち」が多様化しているのはもちろん、「家族問題」が多様化していることも知りました。事実婚、シングル家庭、ステップファミリーだけでなく、シェアハウスなどの家族のかたちもあれば、世間一般的と言われている家族がみんながみんな、悩みを抱えていないわけではない。
様々なかたち、生き方を知れば知るほど、面白いことだ!と思いました。時には話を聞いていて涙をこぼしてしまうようなこともあります。でも、聞けば聞くだけ、私の知らなかった考え方、私を励ましてくれる考え方が広がっていくんです。
そんなこんなで生きてきて20年。
私の話も誰かの何かになるのかな。
そんなことを思いながら、20歳であるうちに(というきっかけを無理やりくっつけて)ブログを始めてみます。
あくまでも全て私の経験から得た個人的な価値観・考えです。
それは違うよ、と思われることもあると思います。違うよ、の内容についても知りたいと思っています。
もし、私と似たような境遇でまさに悩んでいる人たちがいるのならば、こんな家族のかたちもあるんだ、こんな考え方もあるんだって、そんな軽い気持ちで読んでいただけたら嬉しいです。このブログの内容の一部は、家族について悩んでいた当時の私に伝えたい内容でもあります。家族を見つめ返す、自分のためのものでもあるのです。
こんな感じでほのぼのと書いていけたらと思っていますので、宜しくお願い致します。次回は、このブログで主に登場するであろう私の家族の紹介をしたいと思います。 読んでいただき、ありがとうございました^^